2016年9月18日日曜日

顕界(現界)と幽界の相違

以下は、私が勝手に想像する顕界と幽界の相違である。

 顕界は、極端な事を言うと、場所は時間と共に少しづつ変化はするが、殆ど固定的である。 
人はその固定的な場所に於いて、時間と共に多くのことを経験しながら、現在が時間と共に過去になり、現在の行い、想いが未来に対し影響して行く。 
経験は自分一人で想いを巡らせて想いの中で経験する場合もあるし、実際に一人で行動して経験する場合もあるし、人や動物・植物と係わりあって経験する場合もある。
人や動物・植物と係わって経験して行く場合、経験によって自分自身の心や想いに対して大きな影響も与えるが、同時に係わった人や動物・植物にも大きな影響を与えている。 心の変化や行いを生きざまと呼ぶとすると、生きざまは自分自身が感じる部分と係わった相手が感じる部分の二つが同時に発生することになり、それが生きている間中、積み重ねられて行くことになる。


顕界に於ける成長は、想いを巡らせること、有用な書物を読むこと、有益な人と係わりあうこと等によってなされるが、特に大事なことは自分とは全く異質な人(価値観や行動が違う人)と係わったり、場合によっては自分の至らない点を注意してもらって、成長のための気づきのチャンスがあることである。 これは何とありがたいことであろうか・・・・もし、自分一人でいるか、他の人がいても自分と全く同一タイプであれば、気づくチャンスは殆ど無いと言うことになる。 要するに、顕界では外部要因で気づかされる事が多いと言うことになる。


ところが、幽界は同じ様なタイプが集まる空間であるし、自分の成長(浄化レベル)に応じて存在する空間が瞬時に変わってしまう。 そしてその幽界は、過去・現在・未来がごっちゃになっている。 過去・現在・未来が、ごっちゃになっていると言うことは、各人毎に時間に関する感覚が違うと言う事になる。 顕界では、人を含む物体があって、この物体に対して時間は皆共通に進む。 処が、幽界では、各人の過去が各人別にくっついていると言うことになる。 言い換えれば、過去の生きざまが現在の自分(霊)にくっついていると言うことになる。 更に、ややこしくしているのは、過去の自分の想い・経験だけでなく、係わりあった人や動物・植物の想いまで同時に省みて、自分(霊)の成長に繋げて行かなければならないと言うことである。 幽界に於ける未来と言うのは、過去の積み上げを現在省みて変化して行く様(さま)の先を未来としているが、変化(浄化)が進むと、存在する空間が変わる(次元が変わり神様に近づく)ことに注意すべきである。
もし、係わった人の想いが、呪い、恨みの様に、非常に強いものであった場合、幽界で一人で省みても浄化出来ないこともある。 これは、業(ごう)とかカルマと言われるもので、これが魂を覆っていると、もう一度顕界に生まれ変わって、業を発生させた人と解消する必要がある。 この様な縁で顕界で接し結ばれると、殺伐としたものになるか、他から見ると一方的に献身するような状態に見えるかも知れない。


もし、顕界で接した人や動物・植物が自分によって喜びを得たり感じたりした場合は、上記の状況は、一変することになる。 幽界へ行くと、相手の喜び、感謝が自分自身に全て戻って来ることになる。 だから、顕界では人に優しく自分に厳しくと言われるのである。 
人が先、自分は後の後と・・・言い聞かせていても、なかなか出来ないでいる自分である。




注)幽界の時間は、過去、現在、未来がごっちゃになっていると言うことは、過去は各人の生きざまなので、各人毎に時間が違うと考えると考えやすいと思う。 個としての物体が無く、従ってその属性も無いので、過去の出来事(自分自身の生きざまと、係わった人全ての生きざま)が各人毎に一気に現れると言うことは、同一空間にいても時間の感じ方は全く違うと考えた方が良いと思う。

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