2017年1月10日火曜日

大周天

・先に神呼吸について記したが、ここでは大周天による呼吸法との関係を補足しておきたいと思います。  ここで述べることは、私の経験に基づくものであり、気功の中で述べられていることと一致しないかも知れません。


・気を巡らせる方法には大きく分けて小周天と大周天があります。 
小周天は自分の身体の中を氣巡らせ、大周天は自分の身体外との気の交流をします。 
私は、小周天も大周天もイメージを使って行います。 
呼吸法は吐く方から始める方が良いと思っています。
小周天も大周天も私は臍下丹田に一度気を溜める様なことをしませんので、身体に気が充満するかどうかは分かりません。 現在の私は、心身のよどみがとれて、綺麗な(透き通った)心身になれれば良いと思っています。


・小周天の場合、私は上半身のみ気を巡らせるので無く、下半身も気を巡らせます。 吸う時は足の裏から骨格の後ろ側を通して頭まで気を吸いこみます。 そして吐く時は、骨格の前面を滝が流れるようなイメージを持って足の裏まで気を流します。 吸うのは簡単に出来る様になりましたが、吐く方、つまり気を下ろす方は少し難しかった。 気が頭に溜まって下りない場合は、頭がボーとしますので、そうなったら、気を下げる方、つまり吐く方を数回繰り返します。 頭がスッキリしたら、また、吸う吐くを繰り返せば良いです。 少し練習すれば、吸う・吐くのバランスがとれて来ます。
私は、当初小周天をしましたが、今はしません。


・大周天の場合、吸う時は地の底から水を吸い上げる様に吸って、足の裏から骨格の後ろ側を通して、頭まで来たら、そこで止めず、頭を突きぬけて天遠く行く様に私はします。 吐く時は、天より気が滝のように流れてきて、頭上から入り、骨格の前面を通り、足の裏を通過して、地の奥底へ流れて行く様をイメージして行います。


・前に投稿した神呼吸の場合、私は大宇宙を成り立たせている虚空の無限の気を意識します。 吸う時は、実に妙精(考えられないほどの微細)な気(透き通った穢れを知らないエネルギー(神気だと思っています))を宇宙の遥か彼方の虚空(次元の違う世界)から、自分の中心(ポチ)へイメージを使って吸いこみます。 吸いこむ方向は、自分のポチ(小宇宙の中心)に向って全方向からとなります。 そして吐く時は、自分のポチ(小宇宙の中心)から宇宙の果てまで、全方向で気が広がって行く様をイメージします。


・現時点では、肉体的には大周天の方が神呼吸より効果があるように思いますが、神呼吸を積み重ねて行けば、神呼吸の方が良い様に思います。 言い換えると、真人(まことびと)の養成には、神呼吸の方が良い様に思います。 真(まこと)の神呼吸をする為には、自分の想いを正しい想いに変えない限り、完全には出来ないと確信しています。 現在の私は、神様に恥ずかしくない様な正しい想いは持てていない。 従って、現時点では大周天の方が効果があると思います。
テクニック(技術面)では、大周天の方が優れていると思います。 自分の価値観(自己中心的な価値観)を変えなくても、大周天の方法は効果があると思っていますが、神呼吸の方は、まず自分の想いが正しい想いに変わらないと、効果が出ない、つまり元を正さなければ効果が出辛いのだと私は思っています。


・私が思う神呼吸と大周天の共通点は、次の通りです。
  ①身体は、透き通った透明な身体になる。
    大周天で心がどの程度透き通るか、私にはわからないが・・・。 
    神呼吸は、心が正しい想いで無いと身体的効果も出ないが、正しい想いで神呼吸を
    すると、心が更に透き通った心になり、その透き通った心気が満ち溢れる。
  ②心身が透き通ると、よどみが無い為、人の邪気とかマイナスのエネルギー(自己中心
    的エネルギー、我欲、ねたみ、プライド、地位欲、名誉欲、物欲等)の影響を受けな
    くなる。
  ③透き通った身心のプラスエネルギーは、宇宙(虚空)の透明エネルギーを自然に取り
    込み、プラス的現象が常に現れる様になる。 人もプラス思考(志向)の人との縁が
    深くなって行く。 


・次に、私が知る限りでの神呼吸と大周天との違いは、次の通りです。
  心身を透き通らせることを目標にしていること、宇宙(虚空を含む)との気の交流を図る
  ことは共通している。 だが、大周天は宇宙と気の交流をするに当ってはイメージを使う
  必要性を言っているが、交流に当っての心の在り方については、特別には問いていな
  い。 但し、気の交流によって心身が綺麗になってからは、ネガティブな心を持たない様
  に注意を促している。 心身を透き通らせるに当っては、肉身の能力を使って肉身と心
  を浄化させようとしていている為、達成できても、体主心従霊属の状態からは抜け出せ
  無い様に思う。 つまり、肉体レベルの最高位には行けても、その上の神人合一のレベ
  ルには行けないと私は考えている。
  一方、神呼吸の方は、まず神呼吸をする前に心を先に正す必要がある。 生きて行く上
  での必要以上のことは望まない、相手を想い、自然を想い、自分の幸せも願うが周囲の
  幸せも望み、総てが幸せになる為に何時も努力する、何時もぶれることなく前向きに生
  きる。 そして自己中心的な心から離れて、心奥底から湧いてくる霊的な心(神心)を大
  切にして、霊主心従体属の状態を願い祈って神呼吸を行い、神心合一を目指して、大
  宇宙(虚空)とイメージを使った呼吸を行い、気の交流をする。 当初はイメージを使う
  が霊主心従体属の状態になったら、イメージ(意識)は不要である。
  つまり、大周天は神呼吸と違って浅いのであり、一方、神呼吸は神の領域に入り込む深
  さがあるのである。 その差は、心の在り方によって生じる。


2017年1月9日月曜日

神呼吸

・私は、昔、2年間ほど毎日大周天の呼吸法をした。 この呼吸法は、天地を意識した呼吸法であるが、吐く時は天から滝の様な気を頭上を通して自分の前面を通過させ、地の奥底まで送り込み、吸う時は地下水を吸い上げる様な気持ちで足の裏から吸い、自分の背面を通過させ、宇宙の果てまで送り込む呼吸法である。 前面とか背面とか言っても、身体の表面のことを指すのでなく、骨格の前と後ろと言う意味で、殆ど中心軸を指す。 
尚、この呼吸法は1分で一呼吸するのを目標とする。 毎日この呼吸法をして、1年も経つと、ごく当たり前に一分一呼吸することができ、苦しさもなくなり、心身が禊がれた感じがする。
この呼吸法は、毎日10分(10回分)した。 
この呼吸法をした後、瞑想をすると、とても良い瞑想が出来た。
この頃に何が可能になるか色々と確かめた。 
雲を消す、自分の体温を下げる、花粉症を治す、こむらがえりを治す、どんなに忙しくてもいらいらせずに仕事を消化する・・・・こんなことが出来る様になった。
各人の特性を見る為のオーラを見れる様になろうと努力したが、途中で止めた。 ただ、生きてる木々のオーラとビルや家のオーラには違いがあることは見えた。
オーラの見方は、私の場合、普通に見ていては見えなかった。 物体と空間の境目を視点を合わせず、少しぼやけた感じで見ると、光の膜の様なものが見える。 その膜が発する、気と言うか光と言うか、良く分からないが、それが生きているものと生きていないものでは違うのである。


・今は合気道の稽古前に禊行(業)の一つとして神呼吸をしている。 いくむすびと唱えながら、い~で吐き、く~で吸い、イメージとしては虚空より想いによって妙性な気を吸い、自分の荒い氣と結んで新たな生命力(気)を生じさせ、そして吐く時は、自分の発する気を宇宙に充満させる気持ちでしている。 さて、日々の生活や合気道の稽古に於いて、自分の内側を変えないで臨んだ場合でも自分の心身を禊ぐことが出来るのであろうか?


・以下は、ドイツ人探検家テオドール・イリオンが1930年代初頭にチベットを探検した時の一文である。 この体験記は、当時のドイツを掌握していたヒットラー・ナチス政府に大きな影響を与え、ナチス政府が毎年チベット調査団を派遣するための媒介となったことでも有名だそうである。
『私は、ヨーロッパにいた時にも、一分間に三度しか呼吸しなかった。殆どの白人は、呼吸の際に肺の力の十分の一も使っていないので、一分間に15回かそこらは呼吸しているはずである。 このような人達が標高5000メートルのチベット高原を時速6キロのスピードで歩くとすれば、呼吸数は毎秒3回になり、300メートルも行かない内に倒れてしまうだろう。 ここで注意しておかなくてはならないことがある。 私は、呼吸訓練をしてこの様なゆっくりした呼吸を身につけた訳ではないのだ。 人は、意識して呼吸のリズムを変えたりしない方がいい。 空気がタダだからと言って呼吸を遅くしようと努めたり、そこから何か ーーそれが物質的利益であれ霊的利益であれーー を得ようと期待したりすれば、遅かれ早かれ呼吸によって身を滅ぼすことになる。 何かを得ようと言う目的の下にわざと呼吸訓練に励んだりすれば、大抵の場合、神経機能を低下させることになるのだ。 呼吸は、無意識なものでなければならない。 私たちが内側から変化すれば、また、「人からしてもらいたいと思うことを自らする」精神で周囲のどの様なものにも接するようにすれば、不完全な呼吸を起こす心の緊張状態も、おのずとなくなってくるのだ。 我欲をすすんで制限し、生命を保って行くのに必要なものだけをとり、それ以上のものを望まない様にすれば、私たちは心理的にも肉体的にも、この様な緊張状態をなくせるのである。 身体がリラックスした状態にあれば、深いゆったりした呼吸はおのずと、無意識の内に身につくようになる。 だが、自己中心性などの、悪い呼吸習慣を形作る原因を変えることなく、意図的行為によって呼吸をコントロールしようとすれば、自滅への道を辿ることになるのだ。』


・さて、上記を読んで、皆さんはどう思われましたか?
私の結論は、次の通りである。
結局は、元(原点、源泉)を正さない限り、真(まこと)の禊は出来ないと言う事です。
大(翁)先生が、真人を養成するには、正しい想いが大事だと言われるのは、そこにあると思います。 正しい想いを持ち、ことあるごとに省みて、自分の言動を正しい想いと照らし合わせて、外れていないかチェックする。 そして、悔い、恥じ、懼れ、悟って、またぶれることなく、進んで行く。
この様な正しい想いと実践の中で神呼吸を積み重ねて行けば、心身の禊が進むと思うのである。 正しい想いとは、我欲を少なくし(肉身が欲する欲を少なくし)、霊的な心の進化を大事にして、神様に通じる様な心になるための想い持つことである。

この世の大切さ

・この世(顕界・現界・地上界)は有限で、はかない。 だが、あの世(幽界、霊界、神界)に無い良さも一杯ある。 この世に生(産)まれたが故に、為さなければならい使命もある。 この世だから出来、あの世では出来ないこともある。


・あの世の一番の問題点は、閉ざす自由さにあると思う。 知りたい、向上(成長)したいと思って、自分にとって多少辛くても求める気持ちがあれば、どんどん修得し良い方向(浄化)へ進んで行けるが、一方で知りたくない、聞きたくないと思う事は閉ざすことが出来、ほぼ永久に閉ざすことも出来る。 これは大変なことである。 進化(成長)しないで同じ処に、ほぼ永久に留まるのであるから・・・・ 


・この世は色々な人がいて、見たく無いものも見させられ、聞きたく無い事も聞かされ、注意されたくないことも注意されたりする。 しかし、これは何とありがたい事であるかと思う。 あの世に行けば気付けないことに、短時間で気付かせてもらえるのだから・・・・。 有限の世界が故に、完全な自由が無いが故に、短い時間で学ばさせてもらい、修得できるのだから、まことにありがたいことである。


・自殺をして、この世の役割を放棄すると、あの世では想像出来ないほどの痛みが待っていて、その痛みを感じる長さも、この世では考えられないほどの長さの様です。 あの世では肉体がありません。 肉体が無いのに何故痛みを感じるのでしょうか? この世では、肉体の病と、心の病がありますし、また、肉体の痛みと心の痛みもあります。 心の痛みを心痛とも言いますよね・・・・ この世の辛さに耐えられなくて、死ねば楽になると思って自殺すると、この世の痛みの何倍もの痛みを感じさせられ、さらに、その期間も、とんでもなく長いとなると・・・・これこそ地獄ですよね・・・・あの世では、お医者さんが来て神経を麻痺させるようなこともしてくれません。 睡眠導入剤や精神安定剤も、もらえません。 出来ることは、ただただ、独りで心の痛みに耐え、悔い反省することだけです。 このことを考えると、大(翁)先生が残してくれた、武産合気は、まことにありがたい武道だと言うことを改めて感じます。 武産合気を正しく行って行けば、自然に心身が禊がれ真人(まことびと)が養成されるのですから、武産合気はこの世の宝であり、武産合気の想いはあの世でも通じる宝でもあるのです。


・死んで、あの世に行くと、自分の生きざま総てを省みることになります。 死んだ人は例外なく、自分の人生総てを強制的に見せられます。 ここでの大変さは、自分が接して影響させた人達の想い、喜び、悲しみ、苦しみの総てを相手の立場で感じさせられ、見させられることです。 ですから、人を殺めたり、裏切ったり、意地悪したり、心無い事をしたりすると、地獄以上の様相を自分一人で経験させられるのです。 このステップで大いに反省し、自ら自分の至らなさに気付き、どうすべきだったかを理解するまで、このステップを抜けることが出来ません。 日々ことあるごとに、省みる、恥じる、悔いる、懼る、悟るをすることが如何に大事であるかと言う事が分かると思います。