2016年9月18日日曜日

自然な生き方と和合

・昔のお爺ちゃん、お婆ちゃんは何故生き生きとしていたのでしょうか? 周りから期待されていたから・・ 慣習や日々の生活に於いて何でも知っていたから・・目標があったから・・・大家族の中で中心的な役割を果たしていたから・・・ 色々とあるでしょう。
お祭りも、盆も、正月も、田植えも、稲刈りも・・・毎年、季節の移り変わりの中でめぐってきます。 大きな自然の循環の中でめぐってくるのです。 お爺ちゃんやお婆ちゃんは、自然に溶け込み、生きていたからこそ、無理が無く、控え目でありながら何時も光っていた。
特にお婆ちゃんは、朝、暗いうちから起きて食事の用意もし、田畑も行き、全てをしながら、食事は最後にし、食後のお片づけもし、そして最後にお風呂に入っていた。
たまに、およばれがあって、上げ膳据え膳の時は、本当に申し訳ないと手を合わせて感謝の気持ちを心から現していた。
また、日の出の太陽に拝み、お月さまに拝み・・ 日々も、自然の中に溶け込んで生活をしていた。
何時も何時も周りの家族の為にしているのに、死ぬまで一度も不満を聞いたことが無かった・・・
私はこんなお爺ちゃん、お婆ちゃんを尊敬している。

・合気道で自然と一体になると言うことは、無意識の内に、自然の中に溶け込み、自然な動きで無理が無く、心奥底で相手を含む全体と溶け込んだ時の状況を言うと私は思っている。
このような状態になるためには、心を正さない限り、永久に無理である。

・合気道の和合は、体の和合ではないと考え、私は稽古に励んでいる。

・体主心従霊属から霊主心従体属の状態に転じる事が出来たら、その時、相手を含む大宇宙・大自然(神)との一体化がなされ、本当の和合が具現化すると思います。 この時の状態は、神人合一の状態であり、技はすべて神技となる。
従って五感を通じた厳しい稽古を続けたとしても、精神面が未熟で悟りが得られなければ、翁先生のような神技は出来ないと、私は思っています。      

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