2016年11月16日水曜日

異質なものを結ぶ難しさ

前の投稿で、結びについて次の様に記した。
  結び: 
   結びと言うのは、同質のものを合わせる(加算する)ことではない。
   異質のものを結んで新たなもの(はたらき)を産み出すことを結びと言う。
   縦と横、見えないものと見えるもの、陰と陽、天と地、霊と体 これらを結んで、
   新たなもの(働き)を産み出すことを結びと言い、結ばれた時に喜びと光を伴
   った爆発的なエネルギーを生じさせる。 このことを武産合氣と言うのである。


・結びと言うと
   ・糸を結ぶ
   ・ひもを結ぶ
   ・帯を結ぶ
   ・契りを結ぶ
 と言う様に、同質のもので結ぶか、共通目的の為に結ぶ ことを意味する。


・異質のもの、真反対のものを結ぶと言うと
   ・縦と横
   ・陰と陽
   ・天と地
   ・霊と体
   ・火と水
   ・想いと行い
 となるが、皆さんはこの異質なものの結びを想像できるでしょうか?
 結びと言う言葉より、交わりと言う言葉の方がイメージし易いかも知れない。
 但し、異質のものが交わって、ミックスされたと言うイメージなら、それは全く違う。
 異質なものが交わった瞬間に、以前の姿形・性質・働きは消え、新たな姿形・性質
 ・働きを生じるのである。 
 また、交わった瞬間に真・善・美と光を生ずるのである。
 別な言い方をすると、真・善・美と光を生ずる交わり(結び)は、正しい結びと言える
 のである。


・霊と体、火と水、想いと行い を結んで、真・善・美と光を生じる為には、何が必要と
 なるのであろうか?
 
・例えば、霊と体を結ぶには何が必要となるのであろうか?
 大(翁)先生は、直筆の書(合気道 壱之巻)で次の様に記しておられる、
 『合気は神の御姿御心より出で真善美なる無限絶対の世界御創造、御経綸の精神
  なり。』と言われている。
 肉体が産まれる時、肉身は母親が産み、魂(霊)は分け御魂として神様が産む。
 分け御魂には核として真・善・美が組み込まれている。
 体が主体で霊と結ぼうとしても無理である。 体(脳)は霊を感知出来ない。
 となると、霊にはもともと真・善・美が組み込まれていて光を発するわけであるから、
 霊が主体で体と結べば良い事となる。
 だが、簡単には霊が主体で体と結ぶことは出来ない。
 霊は、完全であり、純粋であり、我欲は無く、真一筋である。 霊が主体となって肉身
 と結ぼうとするなら(霊が滲み出る様な様相で肉身を覆う様にしようとするなら)、
 肉身の心が純粋で真一筋の状態になる必要がある。


・以下は、以前に大(翁)先生の直筆の書に対して、私の解釈を記した内容である。
 以下を併せて理解して頂ければ、異質のものの結びについて理解して頂けるかとも
 思います。
 
・合気とは妙精な気と荒い気の結びである。
妙精な気は神の発する気で虚空の気である。
虚空の気は、この世(顕界)を成り立たせ、顕界は有限の世界であるのに対し、顕界
とは別の次元に存在し、無限の世界である。 
神はこの無限の妙精な気を使って、この世(顕界)を創った。 
この顕界の現れをビッグバンと呼び、個が初めて存在し、個と個の間に空間と時間が
存在し、相対が発生した。 
妙精な気は、真善美と言う核で構成されている。
荒い気は、顕界を構成する処の物の気であり、人や自然界が発する気である。 
荒い気は科学の力で存在を確認出来ても、妙精な気は科学では到底計測できない処
のまことに小さな存在である。 しかもこの気は真善美で構成されているため、汚れた
気や欲の気とは結ばれない性質がある。
別の次元にある妙精な気(真善美)と人の荒い気を結ぶ為には、人の個として存在す
る属性(自分を存在させる為の欲)を働かなくし、穢れ、淀みを真(まこと)を以って浄化
する必要がある。

・この世(顕界)は、神の御姿御心より生じた有限の世界であり、人の気は荒いが、
真(まこと)ひとすじによって、 別次元にある処の神の気(妙精な気)と合気(結ぶ)し
て、妙精な気を発動できる様になる。
妙精な気は真善美で構成されている為、有限の世界である顕界と、無限の世界である
次元の世界(幽界、霊界、神界)が結ばれることとなる。 つまり、顕幽神が一体となり
無限絶対の世界御創造となる。


・横の世界(時間、空間が存在する有限な顕界)と縦の世界(時間と空間が無い処の次
元の世界(無限世界))が結ばれて、顕界にいながらにして無限絶対世界(縦の幽界、
霊界、神界)にもいる状態となる。
この様な状態は人の完成を意味し、地上天国構築ともなり、三界(顕幽神)が貫かれる
姿となるので、御経綸の精神となる。

時間と空間の無い世界

・一二三神示に、次の様なことが記されている。
 地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らない
 のであるぞ。 只よろこびがあるのみぞ。 神界で時間申すのは、ものの連続と変化、状
 態の弥栄の事であるぞ。


 霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない。 
 その霊界が全ての霊界であるかの如く思うものであるぞ。 
 同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのであるなれど、段階が異なってくると
 判らなくなるのであるぞ。 他の霊界は霊自身のもつ感覚の対照とならないからである。 


・上記によって、霊界(時間と空間のない世界)の様相が推測できるが、私の思考の基準
 を以下に記します。
   ①幽界、霊界、神界は、無限の次元で構成されている。
     ・各次元は平面で構成されている。
     ・自分のいる次元より下位の次元は見えるが、上位の次元は見えない(知らない)
     ・各次元には時間は無い。
     ・より上位への移動は、浄化次第で決まり、自分の意志では移動できない。
     ・地上界の時間の変化に対応するものは、ものの連続と変化、状態の弥栄である。
      従って、存在するものの死は無い。
   ②地上界は(三次元+時間)で構成されており、時間の流れによって過去、現在、未
     来があり、肉身で認識し確認できるのは今現在のみである。 過去は、見ることは
     出来ず、記憶に残るだけである。 何故過去が見えないかと言うと、時間が一方向
     へ進み、同一場所に存在するものは時間と共に変化するからである。 そう言う意
     味では、存在するもの総てが生きており、何らかの呼吸をしていると言える。
     未来も見えない。 過去の変化から推測が出来るだけである。
     過去に造ったお城が見えると言ったって、それは過去に造ったお城が今迄の時間
     で種々の変化をし、朽ちていない今現在の姿を見ていると言うことだけである。
     要するに地上界、顕界の総ての存在物は有限で、常に変化をしていると言うことで
     ある。 物によって変化のスピードが異なるだけである。
 
・幽界~神界をここでは霊界と呼ぶこととする。
 時間と空間が無い霊界の世界の様相を以下に推測して見ることとします。
   霊界は、平面の世界である。 
   平面の世界は次元の世界であり、次元は無限にある。
   次元は波動の世界であり、同一波動を持つ超微粒子の集合体と見て良い。
   例えば、人の霊が六次元(第6層)の波動を持っていたとすると、霊界の6番目の次元
   (第6層)に行く事になる。
   その層に於いて、進化(浄化)が進むと、その霊を構成する粒子が更に微細化し、波動
   が更に短くなる。 そうなると、次の第7次元(7層)へ知らない内にシフトする。
   第7次元にシフトした霊は、今迄の変化内容は各次元に残っているので、総てを見るこ
   とが出来る。 
   しかし、更に進化した(浄化した)次元(層)は、自分が更に進化(浄化)しない限り
   永久に見ることが出来ない。
   要するに、意思を持った波動・粒子は、自分より荒い物は存在を確認できるが、自分よ
   り微細なものは存在を確認できないのである。
   言い換えると、自分より低い次元に存在するものは総て見えるが、自分より高い次元
   の存在は一切確認できないと言うことである。
   霊界は、弥栄なので、霊の各次元での変化は総て残っていると言うことになり、自分も
   他の霊の変化を確認できることとなる。
   尚、霊界では思う事が総て実現すると神示に記載されているが、このこともそうであろ
   うと思っている。 私は雲を消せます。 雲の無い状態を完全にイメージ出来れば、
   すぐに消えます。 この現象はエネルギーの法則は当てはまりません。 
   しかし、イメージ力が現象を創り出す証明にはなります。 
   霊界で思う事が現象として現れることと、地上界で雲を消すことの似ている点は、
   対象が微細な粒子で構成されていると言うことです。
   顕界・地上界が虚空の妙精な気で創られていることから見ると、意思(想念)の力で、
   地上界では雲を消し、霊界では思う事が実現することは、何ら不思議なことでは無い
   と私は思うのですが、皆さんはどう思われますか?


   尚、各次元は平面で構成されていると記したが、これは地上界に於ける紙面の様な
   平たい面の事では無い。 同質の立体である。 同一波動の立体である。 
   地上界と霊界は、復立体、立立体の関係にあると言われている様に、各次元は同
   質(同一波動)の立体である。

2016年11月11日金曜日

合気道(武産合氣)を宝とせよ


・大(翁)先生は合気道(武産合氣)を人々の宝とせよ、と言われた。 
 合気道の稽古を通じて、自分自身の、家族の、国家の、人類の宝にせよと言われた。
 皆さんは、この教えをどのように理解されていますか?


・合気道(武産合氣)は、この地上界(現界)・有限の世界に於いてのみ宝となるのであ
 ろうか? もし、そうなら、何故合気道(武産合氣)に禊の働きが必要なのであろうか?
 何故、大(翁)先生は、一方で合気道(武産合氣)は真人(まことびと)の養成にあると
 言われたのであろうか?


・合気道は和合を大事にする武道だから、性別の違い、人種の違い、宗教の違い、価
 値観の違い、地位の違い、年齢の違い・・・・ 
 これらの違いを乗り越え、お互いが和することを心がけて争うことなく稽古をする。 
 そうすることによって、お互いを尊重し合い、お互いを認め合い、仲の良い世界を構
 築していく・・・・ それが世界平和に貢献して行く。
 こんな風に私は理解をしていたが、これは反面(片一方、反対側の意味)しか言って
 いないと思う様になった。
 現在の地上界でのみ通用する宝でなく、真人(まことびと)となって、死んでも幽界に
 迷う事なく、真っすぐ上の世界へ行ける為の宝にしなさいと大(翁)先生は言われてい
 ると思う様にになったのである。




・今現在の自分や他の人を認め合って争いを無くす努力をすることも大事だと思うが、
 それでは、我欲を認め合って、自分の本質を変えず、表面だけの和合(結び)をしてい
 ることになる。
 これでは有限の世界・はかなく消え行く世界での宝となってしまう。
 只単に争いを無くすと言う浅い宝になってしまう。


・自分の外側に目(意識)を向けるので無く、自分の内側に目(意識)を向けることが必
 要である。 自分の外側は有限の世界であり、個の世界であり、相対の世界であり、
 はかない世界である。 自分の内側の世界は無限の世界であり、全体の世界であり、
 絶対の世界であり、永遠の世界である。
 
・武産合氣の禊の働きにより、個に属する我欲の働きを薄めて少なくし、遂には我欲が
 働かなくすることにより、内側深くに眠る魂を呼び起こし、霊的な働きを強くし、
 現界(地上界)に於いて霊(魂)と体を結び、一方で霊線を強くして霊界と結ぶ。
 こうなると、半霊・半物質の体を持つことになり、顕・幽・神の三界を自由に行き来する
 ことになる。 このことを言い換えると、霊主心従体属と言う状態になる。
 霊は生き通しであり、無限の世界にあり、真(まこと)一筋であり、穢れがない透き通っ
 た存在である。
 大(翁)先生が武産合氣を宝とせよと言われたのは、武産合氣の禊の働きによって、
 自分の我欲と言う色を削いで(落として)、肉身の奥の奥の奥にある処のまこと一筋の
 霊の働きを強くして、体と結び、霊主心従体属の状態を創って下されよ と言う意味だ
 と思っています。
 このことを言い換えると、真人(まことびと)の養成であり、人の完成と言うことになり
 ます。
 言い換えると、永遠の命と無限の世界を得たことにもなります。


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一二三神示(ひふみしんじ)に、
 平面の世界
 立体の世界
 復(複では無い・重ねるの意味)立体の世界
 立立体の世界
と言う言葉が出て来ます。 
皆さんは、この世界を想像できますか?


半霊半物質、霊主心従体属、顕・幽・神の三界 と言う言葉も、神示や大(翁)先生の話
しに出てきます。 これらの言葉がどの様な状態を現しているか想像できますか?


ここからは、私の勝手な解釈を記します。 最も、前半に記させて頂いた内容も、私の勝
手な解釈ですが・・・・・


・まず内側の世界を見るにあたって、X線を想像してみて下さい。 ご承知のようにX線は、
 レントゲン写真にも利用されています。 
 X線は電磁波の一種で、波長が非常に短く、物質を透過する性質を持ち、密度が高く、
 厚みが厚いものは透過しにくい性質も持ちます。
 ちなみに波長の長さで見ると、可視光線は10のマイナス7乗、電波は10の5乗~10
 のマイナス5乗、X線は10のマイナス11乗と言う長さです。
 要するに波長が極端に短くなると荒い物を透過すると言うことです。


・自分のレントゲン写真を撮った時、あっ X線が通過した等と感知出来ません。
 これがヒントです。
 ですから見えない世界、次元の違う世界は遠くには無いと言うことです。 むしろ、全く
 逆で自分の中に折り重なってあると言う事です。
 X線の粒子より更にずーと細かい超微細粒子で構成された人の霊が、見える身体と折
 り重なって、一つ次元の高い(深い)ところに存在していると考えれば良いかと思います。
 良く魂が星になったと言って、死んだら如何にも遠くに魂は旅するように言われている
 が、これは人間が理解し易い様に表現しただけであって、実際は次元の違う場所に移
 っただけなのです。
 見える世界の場所も人も植物も動物も全てに次元があり、地上の世界の内側に無限
 の次元があると考えれば分かり易いかと思います。 
 人間を構成している肉体と言う物質は非常に荒い、従って超微細なもの(波動)は人間
 を透過できるし、超微細なもので構成された魂は、肉身の中(中と言っても次元の違う所)
 に存在しているが、荒いもので構成されている現界と言う次元からは、一次元深い所に
 存在する霊を感知できないのです。


・見える世界、物の世界、つまり現界・地上界(顕界)をベースに考えると、自分と言う
 空間・場所・スペースに、一つ深い次元(層と呼んでも良い)の魂(霊)が存在する。 
 従って、現代科学が次元を超えられない限りに於いては、魂を見~つけた! と言うこ
 とにはなりません。
 顕界と一つ次元の深い世界とを結んだのを一二三神示(ひふみしんじ)では、立体の
 世界と呼んでいる。 そして更にもう一つ深い次元と結ぶと復立体となる。 
 このことは三界(三つの次元)を結んだとも言える。 顕・幽・神の三界(三つの次元)
 を自由に行き来できる合気道を目指された大(翁)先生は、実は次元を超えられること
 を目指されたと言うことです。
 三界と三つの次元は簡単に言うとそうなると言うことであり、詳しく言うなら、三界は
 次元が三つ重なっただけかと言うと、それは全く違う。 
 幽界にも霊界にも浄化のレベルによって、無限に次元が存在する。


・次元が一つ違うと、上位から下位の存在は感知できるが、下位から上位は感知でき
 ない。 これは波動の長さ(微粒子の大きさ)の違いから生じる。
 つまり、人の欲は荒く大きい、この欲を削(そ)げば、少し小さくなる。 そして更に個と
 しての属性を削(そ)げば更に小さくなる。 このことを浄化と呼んでいる。 
 霊の世界(見えない世界)に於いても浄化を重ねれば重ねるほど、次元が違って、住
 む所が違ってくると言う事になる。
 このことは、地上界(顕界) → 幽界 → 霊界 → 神界 と順次昇華して行くことに
 もなる。
 ちなみに三千世界と言うのは、地上界(顕界)も含めた全次元(全界)のことを言う。


・もし、大神様が顕界(見える世界・地上世界)と見えない世界を、一つにしたら、地上
 界に住む我々は一体どうなってしまうのか?
 その時は人が勝手に創り上げた幽界も存在しないと言うことになる。 
 そうなると、火水伝文(ひみつつたえふみ)にもあるように、死にたくても死ねないと言
 うことになる。 つまり、死んで行く処もなく、生きて行く処もないと言うことになる。
 生きるには、一つ上の次元でも生きられる様なマコト人になるしか無いのである。
 故に、大(翁)先生は、武産合氣は、真人(まことびと)の養成のためにあると言われた
 のである。 要するに、この地上界のみならず、死んでも幸せになるために、武産合氣
 を宝とせよと言われたのである。 永遠の幸せの為に宝とせよと言われたのである。
 半霊半物質、霊主心従体属の状態の人を通常人が見た場合は、ごく普通の人に見え
 る、しかし五井先生の様に霊眼で見える人には、黄金のバリアが大(翁)先生を包んで
 いることが見える。 この状態になると、原爆でも破壊するのは無理である。 
 原爆は所詮、見える世界での破壊物である。 ヒマラヤの聖者の生活探求にもあった
 が、水の上を歩く、火災の中でも平気、瞬間移動等は、当たり前の話です。 
 次元を超えられると言う事は、顕界の常識は全く通用しないと言う事です。
 大(翁)先生が、人の心を読めると言うのも、当たり前の話なのです。 大(翁)先生の
 想いは神様の想いと同じ澄んだ微細な波動です。 一方他の人間の想い・考えの波動
 は荒い波動です。 そうすると、X線の様に突きぬけて、荒い想いなどは、総て見えてし
 まうのです。
 大(翁)先生は、霊眼で見ておられたのです。


・注意)
 結び: 
   結びと言うのは、同質のものを合わせる(加算する)ことではない。
   異質のものを結んで新たなもの(はたらき)を産み出すことを結びと言う。
   縦と横、見えないものと見えるもの、陰と陽、天と地、霊と体 これらを結んで、
   新たなもの(働き)を産み出すことを結びと言い、結ばれた時に喜びと光を伴っ
   た爆発的なエネルギーを生じさせる。 このことを武産合氣と言うのである。


 表と裏:
   神示に次のような表現がある:
     ・そなたは裏ばかり求めているが、表もだいじぞ。
     ・表と裏でひとつぞ。
     ・表から裏は見えないぞ。
   表と裏の性質:
     ・表は見える世界、地上界、有限な世界、顕界、現界、人で言うと肉身、
      五感の世界
     ・裏は次元が違う世界、表より一つ深い世界、無限な世界、霊界、人で言うと
      魂が存在する世界、真・喜・美の世界、光を放つ、霊感の世界
   表と裏の現れ方:
     ・表の肉身は母親が産み、裏の魂(霊)は神様が分け御魂として産む。
      この世に生じる限り、この原理原則は破れない。 言わば真理である。
     ・現界・地上界・顕界に産まれる限りに於いては、表が主として現れる。
      つまり、肉身の脳が肉身全体をコントロールし、肉身は五感によって状況を
      脳に報告し、脳はあらゆる指示をする。 
      この様な状態では、裏の働きは眠っている状況であり、表の我欲が全面に
      出ている状態である。 この状態を体主・心従・霊属と呼ぶ。
     ・悟りを開くと(我欲を無くして完全な真人(まことびと)になると)、裏の働き
      ・霊的な心が主導権を握り、肉身的な心は霊的な心に従う。 従って心の
      指示に従って脳が働き、肉身と肉身に属する五感総てが、霊的な心、及び
      それに従う肉身的な心の働きに応じて動くことになる。


     ・裏が表を覆(おお)って、裏のベールに表が包まれる形となる。
      裏が表に滲(にじ)み出ると表現しても良い。
      見た目では表(肉身)は何も変わっていないが、三次元の肉体が四次元の
      霊によって覆(おお)られている状態となる。
      霊は次元が一つ深い世界(四次元と呼んでも良い)にあるから、霊心が働く
      となると、顕界(三次元)と霊界(四次元以上)を自在に行き来出来ることと
      なる。
      このことが大(翁)先生が求めれた処の『三界を自在に行き来する合氣道』
      と言うことになる。
      裏の性質が表に現れる訳であるから、霊心が主導権を持った状態、つまり、
      霊主心従体属と言う状態では、光(透き通ったまばゆい黄金色)を放つ。
      大(翁)先生が悟りを開かられた時に黄金色に包まれたと表現されたが、実
      は余り正しい表現では無い。 黄金色に包まれたとも言えない訳ではないが、
      黄金色は外から来たものでなく、大(翁)先生の中から滲(にじ)み出たもので
      あり、滲み出た裏(霊)が黄金色を放ったのである。
      この状態は三次元にある肉身が四次元の世界(霊)に包まれた状態なので、
      三次元の如何なる力を以っても肉身を破壊することは出来ない。
      大(翁)先生の弟子が大(翁)先生に渾身(こんしん)の力を以って打ち込ん
      だら、電気ショックの様な衝撃を受け、焦げ臭い匂いがし、3~5メートル飛
      ばされたと言うのもごく当然であり、これを見ていた五井先生は大(翁)先生
      が黄金のベール(バリア)に包まれていたと表現したのである。
      三次元に住む人である通常人には、大(翁)先生を包むベールは見えない。 
      眼で見る限りに於いては普通の人間である大(翁)先生に見える。 
      だが、霊眼で見れる五井先生には、四次元(裏)で包まれた大(翁)先生が
      見れるのである。
      この状態の大(翁)先生は、月の裏側でも見えるし、人の心は総て分かるし、
      遠くの木の葉一枚が落ちても分かるし、鳥のさえずりの意味もわかる。
      四次元の世界には三次元の様な空間、時間が無いと言われたことを併せ
      て想いを巡らせば、ごく当たり前のことです。


生(活)きた杖、生(活)きた剣

・今日は杖をやりますけれども、最近庵野先生と色々お話ししてね、あのー・・・そ
 うだね、と言うことで納得し合えた部分がありますので、それも含めてお伝えした
 いと思っています。


・剣でも杖でも、生きた杖、生きた剣と言うのにする必要がある。 ですから只単に
 形だけ覚えてそれで役に立つかと言うと、それだけでは何にも役に立たない。 
 実戦に役立つ訳でも無いし、それが自分の生活の中でね活かして行くと言う事も、
 これも難しい。 型を覚えただけではね・・・・


・ええ・・、それで何が大事かと言うと、剣とか杖を活きたものにする必要がある。
 元々、体術と同じ様に合気剣、合気杖は神様から下ろされたものです。 ですから、
 そのことを良く意識しなければならない。
 ですから実際に生きた剣にしようと思ったら、まずは心と身体、それから奥深い霊
 的なもの、これをしっかり結ぶ必要性がある。 
 ええー、最初から結べなくても、それを意識する必要性がある。 
 そして、霊とか心とか身体を上手く結びつける働きのあるものとして、呼吸・息(いき)
 がある。 このいき(イキ)と言うのがすごく大事。 ええ、生きている気をイキとも言う
 と思うし、神様の気に近づければ神気(しんき)とも言うと思うし、単純に自分に心す
 る息(イキ)・・・・ これも大事なことです。 
 その息をもって、霊・心・体を活きたものにする、息が仲立ちをする・・・・ そう言うこ
 とが、大事だと思っています。


・ええ、それ(霊・心・体を活きたものにする)をするには、道場だけでは難しいな・・・・
 と言う事です。
 例えば、私で言うならば、やっぱり畑です。 畑には生きたものが一杯います。 
 作物に害を及ぼすものもいれば、食物そのものも天地・光・色んなものと呼吸し合
 って、成長して行く。 そう言うものの営みをね・・・・やはり・・・・なんて言い
 ますかね、良く観て、どの様なものを好んで、どの様なものが害するものになるの
 か・・・・  そう言うものも、日頃から心を込めて、かかわって行く姿、それが、実
 は道場の中の一つの技を深くして行く。
 そのかかわり合いと言うのがね、人と人の係わり合い、人と人が剣を交えた場合の
 気の巡り合い・・・・何等、変わりがないのですよ。 自然のものと自分と対峙して、お
 互いに呼吸をする。 剣と剣を交わらした時に、お互いに呼吸をする。 
 それは大(翁)先生が言われている様な宇宙との呼吸・・・・そう言うものに繋がって行
 くんですね。


・だから、剣とか杖を活きたものにしようとしたら、自分の中で結ぶもの(霊・心・体と呼
 吸)と、外(宇宙、自然)との間で結ぶものがある。 それが道場だけの中でなく、日常
 生活でも、職場にいても、家庭にいても、ええ・・・・同じ様な心掛けでやると、全く変わ
 る。 型が変わる。 そのことを良く意識して下さい。
 生きた剣、生きた杖と言うのは、単なる技術的なものでは無いと言うこと、ですから日
 常生活の中で活かされてない人、合気の・・・大(翁)先生の想いが全然分かって無い
 人、 そう言う人は何時まで経っても生きた杖、生きた剣にはならないと言うこと・・・・
 そのことは、もの凄く最近感じます。 と言うことをまず一つ言っておきます。


・それから杖の素振りをやりますけれども・・・・杖の素振りは20種類ありますよね。
 この20種類を馬鹿みたいに、一つ覚えでは駄目です。
 杖の素振りは一番の基本の基本形です。 ですが、杖の素振りがこれしか無いと思う
 のは駄目です。 いいね、斉藤先生も言われていますけれども、合わせとか組杖とか
 をやると、お互いに・・・・人と人とやると、怪我があってはならないね・・・・
 だから正確にやると言うのが大事、怪我がない様に。 
 もう一つは、やはり禊ですから・・・・その為にも形は正確にやる必要性がある。
 それから、もう一つは、実際に使われても、威力をもつもの、いわゆる武道でなけれ
 ば、ならない。 武術的にも強いものでなければならない。
 ええ、人を殺めるものではないのですが・・・・間違えてはいけないのは・・・・人を殺め
 る力を持てば、人を殺めない(活かす)力も持つと言うことです。
 ですから、いい加減にやっていると、殺めることも、活かすことも、両方とも出来なくな
 る。 だから考え方として、殺める力があるなら、相手を活かす力もある・・・・そう言う
 ふうに理解しなければならない。


・いいですね、ですから基本形は大事。 ですが、その基本のみが正しいと言う考えを
 持つと、もう成長は無い。 いいね。


・で・・・、まず最初に、あの・・・横からね、直接打って来るやつは有りますけれども、基
 本形は縦でやっていますね、例えば、直突き、返し突き、後ろ突き・・・それ、皆、縦で
 やっていますね、
 何故、最初(素振りの基本形)に縦しか無いかと言うと、ええ・・・・実は、相手を突く瞬
 間と言うのは、よくよく考えて見ると縦しかないんです。
 縦に持って行くまでの変化が運足であって、相手を突く瞬間と言うのは真っ直ぐなの
 です。
 自分の心と身体と呼吸を乗せたらですね、自分の進む方向、全ての統治されたもの
 の方向が真っ直ぐなのです。 足は真っ直ぐ行っているのに、突きが横に行ったり、
 づれていてたりしてたら・・・・それは、成り立たんわね! 心身統一どころでは、無い
 わね!
 ええ、ですから、心と身体と霊的なものを全て活かして、活きた杖にしようと思ったら、
 基本は真っ直ぐしか無いと言うこと。
 横からに見えているのは、運足が違っているだけなのです。