2017年1月9日月曜日

この世の大切さ

・この世(顕界・現界・地上界)は有限で、はかない。 だが、あの世(幽界、霊界、神界)に無い良さも一杯ある。 この世に生(産)まれたが故に、為さなければならい使命もある。 この世だから出来、あの世では出来ないこともある。


・あの世の一番の問題点は、閉ざす自由さにあると思う。 知りたい、向上(成長)したいと思って、自分にとって多少辛くても求める気持ちがあれば、どんどん修得し良い方向(浄化)へ進んで行けるが、一方で知りたくない、聞きたくないと思う事は閉ざすことが出来、ほぼ永久に閉ざすことも出来る。 これは大変なことである。 進化(成長)しないで同じ処に、ほぼ永久に留まるのであるから・・・・ 


・この世は色々な人がいて、見たく無いものも見させられ、聞きたく無い事も聞かされ、注意されたくないことも注意されたりする。 しかし、これは何とありがたい事であるかと思う。 あの世に行けば気付けないことに、短時間で気付かせてもらえるのだから・・・・。 有限の世界が故に、完全な自由が無いが故に、短い時間で学ばさせてもらい、修得できるのだから、まことにありがたいことである。


・自殺をして、この世の役割を放棄すると、あの世では想像出来ないほどの痛みが待っていて、その痛みを感じる長さも、この世では考えられないほどの長さの様です。 あの世では肉体がありません。 肉体が無いのに何故痛みを感じるのでしょうか? この世では、肉体の病と、心の病がありますし、また、肉体の痛みと心の痛みもあります。 心の痛みを心痛とも言いますよね・・・・ この世の辛さに耐えられなくて、死ねば楽になると思って自殺すると、この世の痛みの何倍もの痛みを感じさせられ、さらに、その期間も、とんでもなく長いとなると・・・・これこそ地獄ですよね・・・・あの世では、お医者さんが来て神経を麻痺させるようなこともしてくれません。 睡眠導入剤や精神安定剤も、もらえません。 出来ることは、ただただ、独りで心の痛みに耐え、悔い反省することだけです。 このことを考えると、大(翁)先生が残してくれた、武産合気は、まことにありがたい武道だと言うことを改めて感じます。 武産合気を正しく行って行けば、自然に心身が禊がれ真人(まことびと)が養成されるのですから、武産合気はこの世の宝であり、武産合気の想いはあの世でも通じる宝でもあるのです。


・死んで、あの世に行くと、自分の生きざま総てを省みることになります。 死んだ人は例外なく、自分の人生総てを強制的に見せられます。 ここでの大変さは、自分が接して影響させた人達の想い、喜び、悲しみ、苦しみの総てを相手の立場で感じさせられ、見させられることです。 ですから、人を殺めたり、裏切ったり、意地悪したり、心無い事をしたりすると、地獄以上の様相を自分一人で経験させられるのです。 このステップで大いに反省し、自ら自分の至らなさに気付き、どうすべきだったかを理解するまで、このステップを抜けることが出来ません。 日々ことあるごとに、省みる、恥じる、悔いる、懼る、悟るをすることが如何に大事であるかと言う事が分かると思います。

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