2016年11月11日金曜日

合気道(武産合氣)を宝とせよ


・大(翁)先生は合気道(武産合氣)を人々の宝とせよ、と言われた。 
 合気道の稽古を通じて、自分自身の、家族の、国家の、人類の宝にせよと言われた。
 皆さんは、この教えをどのように理解されていますか?


・合気道(武産合氣)は、この地上界(現界)・有限の世界に於いてのみ宝となるのであ
 ろうか? もし、そうなら、何故合気道(武産合氣)に禊の働きが必要なのであろうか?
 何故、大(翁)先生は、一方で合気道(武産合氣)は真人(まことびと)の養成にあると
 言われたのであろうか?


・合気道は和合を大事にする武道だから、性別の違い、人種の違い、宗教の違い、価
 値観の違い、地位の違い、年齢の違い・・・・ 
 これらの違いを乗り越え、お互いが和することを心がけて争うことなく稽古をする。 
 そうすることによって、お互いを尊重し合い、お互いを認め合い、仲の良い世界を構
 築していく・・・・ それが世界平和に貢献して行く。
 こんな風に私は理解をしていたが、これは反面(片一方、反対側の意味)しか言って
 いないと思う様になった。
 現在の地上界でのみ通用する宝でなく、真人(まことびと)となって、死んでも幽界に
 迷う事なく、真っすぐ上の世界へ行ける為の宝にしなさいと大(翁)先生は言われてい
 ると思う様にになったのである。




・今現在の自分や他の人を認め合って争いを無くす努力をすることも大事だと思うが、
 それでは、我欲を認め合って、自分の本質を変えず、表面だけの和合(結び)をしてい
 ることになる。
 これでは有限の世界・はかなく消え行く世界での宝となってしまう。
 只単に争いを無くすと言う浅い宝になってしまう。


・自分の外側に目(意識)を向けるので無く、自分の内側に目(意識)を向けることが必
 要である。 自分の外側は有限の世界であり、個の世界であり、相対の世界であり、
 はかない世界である。 自分の内側の世界は無限の世界であり、全体の世界であり、
 絶対の世界であり、永遠の世界である。
 
・武産合氣の禊の働きにより、個に属する我欲の働きを薄めて少なくし、遂には我欲が
 働かなくすることにより、内側深くに眠る魂を呼び起こし、霊的な働きを強くし、
 現界(地上界)に於いて霊(魂)と体を結び、一方で霊線を強くして霊界と結ぶ。
 こうなると、半霊・半物質の体を持つことになり、顕・幽・神の三界を自由に行き来する
 ことになる。 このことを言い換えると、霊主心従体属と言う状態になる。
 霊は生き通しであり、無限の世界にあり、真(まこと)一筋であり、穢れがない透き通っ
 た存在である。
 大(翁)先生が武産合氣を宝とせよと言われたのは、武産合氣の禊の働きによって、
 自分の我欲と言う色を削いで(落として)、肉身の奥の奥の奥にある処のまこと一筋の
 霊の働きを強くして、体と結び、霊主心従体属の状態を創って下されよ と言う意味だ
 と思っています。
 このことを言い換えると、真人(まことびと)の養成であり、人の完成と言うことになり
 ます。
 言い換えると、永遠の命と無限の世界を得たことにもなります。


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一二三神示(ひふみしんじ)に、
 平面の世界
 立体の世界
 復(複では無い・重ねるの意味)立体の世界
 立立体の世界
と言う言葉が出て来ます。 
皆さんは、この世界を想像できますか?


半霊半物質、霊主心従体属、顕・幽・神の三界 と言う言葉も、神示や大(翁)先生の話
しに出てきます。 これらの言葉がどの様な状態を現しているか想像できますか?


ここからは、私の勝手な解釈を記します。 最も、前半に記させて頂いた内容も、私の勝
手な解釈ですが・・・・・


・まず内側の世界を見るにあたって、X線を想像してみて下さい。 ご承知のようにX線は、
 レントゲン写真にも利用されています。 
 X線は電磁波の一種で、波長が非常に短く、物質を透過する性質を持ち、密度が高く、
 厚みが厚いものは透過しにくい性質も持ちます。
 ちなみに波長の長さで見ると、可視光線は10のマイナス7乗、電波は10の5乗~10
 のマイナス5乗、X線は10のマイナス11乗と言う長さです。
 要するに波長が極端に短くなると荒い物を透過すると言うことです。


・自分のレントゲン写真を撮った時、あっ X線が通過した等と感知出来ません。
 これがヒントです。
 ですから見えない世界、次元の違う世界は遠くには無いと言うことです。 むしろ、全く
 逆で自分の中に折り重なってあると言う事です。
 X線の粒子より更にずーと細かい超微細粒子で構成された人の霊が、見える身体と折
 り重なって、一つ次元の高い(深い)ところに存在していると考えれば良いかと思います。
 良く魂が星になったと言って、死んだら如何にも遠くに魂は旅するように言われている
 が、これは人間が理解し易い様に表現しただけであって、実際は次元の違う場所に移
 っただけなのです。
 見える世界の場所も人も植物も動物も全てに次元があり、地上の世界の内側に無限
 の次元があると考えれば分かり易いかと思います。 
 人間を構成している肉体と言う物質は非常に荒い、従って超微細なもの(波動)は人間
 を透過できるし、超微細なもので構成された魂は、肉身の中(中と言っても次元の違う所)
 に存在しているが、荒いもので構成されている現界と言う次元からは、一次元深い所に
 存在する霊を感知できないのです。


・見える世界、物の世界、つまり現界・地上界(顕界)をベースに考えると、自分と言う
 空間・場所・スペースに、一つ深い次元(層と呼んでも良い)の魂(霊)が存在する。 
 従って、現代科学が次元を超えられない限りに於いては、魂を見~つけた! と言うこ
 とにはなりません。
 顕界と一つ次元の深い世界とを結んだのを一二三神示(ひふみしんじ)では、立体の
 世界と呼んでいる。 そして更にもう一つ深い次元と結ぶと復立体となる。 
 このことは三界(三つの次元)を結んだとも言える。 顕・幽・神の三界(三つの次元)
 を自由に行き来できる合気道を目指された大(翁)先生は、実は次元を超えられること
 を目指されたと言うことです。
 三界と三つの次元は簡単に言うとそうなると言うことであり、詳しく言うなら、三界は
 次元が三つ重なっただけかと言うと、それは全く違う。 
 幽界にも霊界にも浄化のレベルによって、無限に次元が存在する。


・次元が一つ違うと、上位から下位の存在は感知できるが、下位から上位は感知でき
 ない。 これは波動の長さ(微粒子の大きさ)の違いから生じる。
 つまり、人の欲は荒く大きい、この欲を削(そ)げば、少し小さくなる。 そして更に個と
 しての属性を削(そ)げば更に小さくなる。 このことを浄化と呼んでいる。 
 霊の世界(見えない世界)に於いても浄化を重ねれば重ねるほど、次元が違って、住
 む所が違ってくると言う事になる。
 このことは、地上界(顕界) → 幽界 → 霊界 → 神界 と順次昇華して行くことに
 もなる。
 ちなみに三千世界と言うのは、地上界(顕界)も含めた全次元(全界)のことを言う。


・もし、大神様が顕界(見える世界・地上世界)と見えない世界を、一つにしたら、地上
 界に住む我々は一体どうなってしまうのか?
 その時は人が勝手に創り上げた幽界も存在しないと言うことになる。 
 そうなると、火水伝文(ひみつつたえふみ)にもあるように、死にたくても死ねないと言
 うことになる。 つまり、死んで行く処もなく、生きて行く処もないと言うことになる。
 生きるには、一つ上の次元でも生きられる様なマコト人になるしか無いのである。
 故に、大(翁)先生は、武産合氣は、真人(まことびと)の養成のためにあると言われた
 のである。 要するに、この地上界のみならず、死んでも幸せになるために、武産合氣
 を宝とせよと言われたのである。 永遠の幸せの為に宝とせよと言われたのである。
 半霊半物質、霊主心従体属の状態の人を通常人が見た場合は、ごく普通の人に見え
 る、しかし五井先生の様に霊眼で見える人には、黄金のバリアが大(翁)先生を包んで
 いることが見える。 この状態になると、原爆でも破壊するのは無理である。 
 原爆は所詮、見える世界での破壊物である。 ヒマラヤの聖者の生活探求にもあった
 が、水の上を歩く、火災の中でも平気、瞬間移動等は、当たり前の話です。 
 次元を超えられると言う事は、顕界の常識は全く通用しないと言う事です。
 大(翁)先生が、人の心を読めると言うのも、当たり前の話なのです。 大(翁)先生の
 想いは神様の想いと同じ澄んだ微細な波動です。 一方他の人間の想い・考えの波動
 は荒い波動です。 そうすると、X線の様に突きぬけて、荒い想いなどは、総て見えてし
 まうのです。
 大(翁)先生は、霊眼で見ておられたのです。


・注意)
 結び: 
   結びと言うのは、同質のものを合わせる(加算する)ことではない。
   異質のものを結んで新たなもの(はたらき)を産み出すことを結びと言う。
   縦と横、見えないものと見えるもの、陰と陽、天と地、霊と体 これらを結んで、
   新たなもの(働き)を産み出すことを結びと言い、結ばれた時に喜びと光を伴っ
   た爆発的なエネルギーを生じさせる。 このことを武産合氣と言うのである。


 表と裏:
   神示に次のような表現がある:
     ・そなたは裏ばかり求めているが、表もだいじぞ。
     ・表と裏でひとつぞ。
     ・表から裏は見えないぞ。
   表と裏の性質:
     ・表は見える世界、地上界、有限な世界、顕界、現界、人で言うと肉身、
      五感の世界
     ・裏は次元が違う世界、表より一つ深い世界、無限な世界、霊界、人で言うと
      魂が存在する世界、真・喜・美の世界、光を放つ、霊感の世界
   表と裏の現れ方:
     ・表の肉身は母親が産み、裏の魂(霊)は神様が分け御魂として産む。
      この世に生じる限り、この原理原則は破れない。 言わば真理である。
     ・現界・地上界・顕界に産まれる限りに於いては、表が主として現れる。
      つまり、肉身の脳が肉身全体をコントロールし、肉身は五感によって状況を
      脳に報告し、脳はあらゆる指示をする。 
      この様な状態では、裏の働きは眠っている状況であり、表の我欲が全面に
      出ている状態である。 この状態を体主・心従・霊属と呼ぶ。
     ・悟りを開くと(我欲を無くして完全な真人(まことびと)になると)、裏の働き
      ・霊的な心が主導権を握り、肉身的な心は霊的な心に従う。 従って心の
      指示に従って脳が働き、肉身と肉身に属する五感総てが、霊的な心、及び
      それに従う肉身的な心の働きに応じて動くことになる。


     ・裏が表を覆(おお)って、裏のベールに表が包まれる形となる。
      裏が表に滲(にじ)み出ると表現しても良い。
      見た目では表(肉身)は何も変わっていないが、三次元の肉体が四次元の
      霊によって覆(おお)られている状態となる。
      霊は次元が一つ深い世界(四次元と呼んでも良い)にあるから、霊心が働く
      となると、顕界(三次元)と霊界(四次元以上)を自在に行き来出来ることと
      なる。
      このことが大(翁)先生が求めれた処の『三界を自在に行き来する合氣道』
      と言うことになる。
      裏の性質が表に現れる訳であるから、霊心が主導権を持った状態、つまり、
      霊主心従体属と言う状態では、光(透き通ったまばゆい黄金色)を放つ。
      大(翁)先生が悟りを開かられた時に黄金色に包まれたと表現されたが、実
      は余り正しい表現では無い。 黄金色に包まれたとも言えない訳ではないが、
      黄金色は外から来たものでなく、大(翁)先生の中から滲(にじ)み出たもので
      あり、滲み出た裏(霊)が黄金色を放ったのである。
      この状態は三次元にある肉身が四次元の世界(霊)に包まれた状態なので、
      三次元の如何なる力を以っても肉身を破壊することは出来ない。
      大(翁)先生の弟子が大(翁)先生に渾身(こんしん)の力を以って打ち込ん
      だら、電気ショックの様な衝撃を受け、焦げ臭い匂いがし、3~5メートル飛
      ばされたと言うのもごく当然であり、これを見ていた五井先生は大(翁)先生
      が黄金のベール(バリア)に包まれていたと表現したのである。
      三次元に住む人である通常人には、大(翁)先生を包むベールは見えない。 
      眼で見る限りに於いては普通の人間である大(翁)先生に見える。 
      だが、霊眼で見れる五井先生には、四次元(裏)で包まれた大(翁)先生が
      見れるのである。
      この状態の大(翁)先生は、月の裏側でも見えるし、人の心は総て分かるし、
      遠くの木の葉一枚が落ちても分かるし、鳥のさえずりの意味もわかる。
      四次元の世界には三次元の様な空間、時間が無いと言われたことを併せ
      て想いを巡らせば、ごく当たり前のことです。


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