2016年10月5日水曜日

想いを込める

・何かをする時は、想いを込めてすることが、とても大事だと思います。
 処が、想いはどんどん変わります。 若い時に持つ想いと、年老いてから持つ想いは違って
 きます。 それから、状況によっても想いは大きく変わります。 
 思う様に事が進まず苦難に満ちた日々を過ごす時の想いと、何事も順調で日々希望に満ち
 溢れて真っ直ぐ進む時の想いは、やはり違ってくることでしょう。


・人は小宇宙と大先生は言われる。 肉体の仕組みを小宇宙と言われているのであろうか?
 肉体の生命活動が、大宇宙の生命活動と似ていることから言われているのであろうか?
 それとも、人も大宇宙も神様が創造されたものであるから、人を宇宙の一部と見れば、
 小宇宙となると言われているのであろうか?
 あるいは、人の想いが神心となれば、神様と同じ働き(力)を持つ様になるので、神様が大
 宇宙を創られた様に、人も同じ様に小宇宙を創れると言うことを言われたのであろうか?


 私は、心(想い)と身体を合わせたものであり、更に永遠に生成化育を続けて行く姿を言わ
 れているのだと思っています。 肉身を主とする個優先の心と、真(まこと・魂)を主とす
 る霊的な心があるが、霊的な心を発動させ、霊主心従体属の状態に変える。 そうすること
 によって、穢れの無い小宇宙が自然に出来るので、その小宇宙から神心の想いを大宇宙
 に向かって発っする・・・・
 このことが、人々を覆っている穢れを落とすのに、とても重要な働きをすると思っていま
 す。
 我欲と言う穢れが落ちない限り、大切な気づきのチャンスがあっても、人は気付けないの
 です。
 気付きが無ければ、人は変われないのです。 耳元で、何度ささやいても、我欲と言うブ
 ロックで跳ね返され、その人には、伝わらないのです。


・最初に、想いは変わると言いました。
 しかし、肉身が発する想いと、霊的な奥深い心が発する想いでは、変わり方が違います。
 肉身が発する想いは、基本的に我良しの利己的な想いですから、状況に応じてどんどん
 変わります。 時、場所によって変わり続け、同じ想いは無いと言えます。 
 そりゃーそうでしょう、世の中、一時として同じ状況は無いのですから、自分が一番可愛
 い利己的な想いは、休むことなく変わり続けるのです。 
 広く浅く、どんどん、変わって行く と言うことになります。
 処が、霊的な奥深い想いは、利己的な想いとは全く異なります。
 利己的な心が欲を求めて右往左往するのは、真(まこと)が無い揺らぎから来るのであっ
 て、霊的な想いは、真(まこと)一筋ですから、揺らぐことがないのです。
 霊的な想いは、利己的な想いで右往左往する姿を憐れみ、少しでもその闇が解けて禊が
 れる様に願って、自分以外に向かって、慈愛の想いを発するのです。
 霊的な想いが変わるとしたら、その深さが変わると思います。 即ち、浄化の度合いによ
 って、想いの深さが変化するのです。


・さて、合気道をする時にどの様な想いを込めたら相手を活かし、喜ばせることが出来るの
 でしょうか? そして、自分も喜ぶことが出来るでしょうか?
   ①無理、無駄、むらが無い、大自然の流れを創る様な想いを意識し、その想いに呼吸、
     動きを乗せて行き、相手を誘導して行く。
   ②肉体的な動き、力に惑わされることなく、揺れない奥深い霊的な心を働かせて、相手
     の動き、想いを吸収し、無力化して戻してあげる。
   ③個の力を全体に帰する様に誘導する。
   ④個の持つ争い、淀み、穢れを、自然の流れ、正しき想いによって綺麗にしてあげる。
 以上の様な事を願い想って、気を充実させ、合気道の稽古をすれば、大先生が渡そうとさ
 れた合気道に近づいて行くように思います。


・稽古で得られた真理をどの様に日常生活に活かすか? と言うことも、とても重要です。
 大先生は、合気道は真人(まことびと)の養成にあると言われている訳ですから、稽古に来
 てああ良い汗をかけた、ああさっぱりした、と言うだけでは、同じところでくるくる廻って
 いるだけであって、真人からは程遠いことになります。
 例えば、先に合気道の稽古をする時に、どの様な想いを込めたら良いのかを書きました
 が、これを日常生活に置き換えて見ますと・・・・
   
   家庭の日常生活に於いて、どの様な想いを込めたら、夫婦はお互いを活かし、喜ばせ
   ることが出来るのであろうか?
     ①一日の生活の中で無理、無駄、むらが無く、自然の流れに乗って、相手に想いや
       りを持って接し、前向きな充実した時間を過ごす様にする。
     ②相手が悩んだり、悲しんだり、苦しんだり、ふさぎ込んだりしていても、それに
       惑わされることなく、笑顔と余裕と包容力で迎え入れ、そんなことは人生上、
       大問題では無い事を悟らせ、何時もの笑顔に戻る様に誘導してあげる。
     ③個が肉身として悩むことは所詮、大したことは無く、悩みの元を正しき想いに
       変わる様に誘導し気付かせて、大いなる力の一部になるようにする。
     ④疲れた身体、想い、考えを大きな想い、笑顔、振る舞いで迎え入れ、如何に現在
       の状態が悩むに値しないかを自らの力で悟らせ、新たな一歩を歩ける様に誘導
       して上げる。
   と言う風に、私なら置き換えます。


 合気道の技一つ一つが禊の技であるから、正しき想いを持って励むなら、そこから日常生
 活に活かせる真理(つまり、お宝)に、どんどん気付けると思います。

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